高段者の頭の中

Inside the Head of a High Dan

自己肯定感とプロフィール欄

 

自己肯定感が低い人のプロフィール欄は、いつも「きらびやかな名詞」で埋め尽くされる。

 

そのことに僕が気付いたのは、自分自身のいくつかのプロフィールを眺めていたときだった。バックオフィス業務を除けば、僕はこれまで「囲碁」「マッサージ」「言葉」という3つのジャンルで仕事をしてきて、自己肯定感は「言葉⇒囲碁⇒マッサージ」の順で高い。

 

そしてその高低差が、そのままプロフィール欄における「名詞の少なさ」と直結しているような気がした。実際に、それら3つのプロフィールを、自己肯定感が「低いほうから」並べてみよう。

 

 

【マッサージ】

ニュートラルセラピスト。「通う必要をなくすこと」が施術の目標。月間指名100件超えを、業界に入って1年11か月目で達成。トリガーポイントのケアが得意。肩こり・腰痛が専門。CBSTライセンス保有。

 

 

【囲碁】

ほじょりん碁インストラクター。アマ7段。院生と県代表の経験あり。すぐふてくされる棋風。ほじょりん碁とは、「上手がABCの選択肢を示す指導碁」のこと。

 

 

【言葉】

言語化星人。

 

 

――おわかりいただけただろうか?(心霊番組のナレーション風に)

 

つまり僕は、その領域に関する自己肯定感が低くなるほど、「プロフィール欄をきらびやかな名詞で埋め尽くしたくなる」という習性をもっているようなのだ。

 

最も自己肯定感の低いマッサージ領域のプロフィールは、「名詞」のオンパレードである。月間指名100件、1年11ヶ月、トリガーポイント、肩こり・腰痛、CBST(コア・バランス・ストレッチ・トレーナー)ライセンス保有。

 

これらはすなわち、「そのような名詞で自分を飾り立てないと、誰も仕事上における自分の能力を信頼してくれないのではないか」という不安感の現れである。実際、僕にとってのマッサージ能力は「付け焼刃」もいいところで、施術歴は3年に満たない。ゆえに、スキルはあるけど自信はない(お客様にとってはそれがよかったのかもしれないけれど)。

 

次である。自己肯定感では中間に位置する囲碁領域のプロフィールは、マッサージ領域ほどではないものの、いくつかの「きらびやかな名詞」が出てくる。インストラクター、アマ7段、院生、県代表。もっときらびやかにしようと思えば、「ヒカルの碁をきっかけに囲碁を始めてから、一年で5段になりました」とか、「囲碁ビジネスチームに参画して全国紙やビジネス誌に取り上げられ、一年後に法人化して代表取締役に就任」とか、ワケのわからない名詞群をプラスすることも、もちろんできる。

 

しかしそんなことをしなくても、自分にはそれなりの囲碁の実力があることを、自分でいちばんよくわかっている(≒自己肯定感がある)がゆえに、僕はそれらの名詞をプロフィール欄に加える必要性を感じない。むしろ、それらの名詞を「ハリボテ」と感じて遠ざけたくなってしまう。実力があることと同様に、それらの名詞に「中身がないこと」も、やはり自分がいちばんよくわかっているのだ。

 

そして、特筆すべきは言葉領域のプロフィールである。自己肯定感が「最も高い」この領域では、ありとあらゆる名詞が削られて、最終的には「言語化星人」という5文字に落ち着いている。もちろん時と場合に応じて、このプロフィールは任意に変更されるのだけれど、やはり究極的には、この5文字でまったく「過不足が無い」と僕は感じる。

 

いっさいのハリボテをまとわなくとも、自分にそれなりの言葉の実力があることを、自分でいちばんよくわかっている(≒自己肯定感がある)がゆえに、僕は言葉領域でのプロフィール欄に何を書けばいいのかが、いまだにまるでわからない。

 

――ということを踏まえて、もういちど3つのプロフィールを、今度は「自己肯定感が高いほうから」並べてみよう。

 

 

【言葉】

言語化星人。

 

 

【囲碁】

ほじょりん碁インストラクター。アマ7段。院生と県代表の経験あり。すぐふてくされる棋風。ほじょりん碁とは、「上手がABCの選択肢を示す指導碁」のこと。

 

 

【マッサージ】

ニュートラルセラピスト。「通う必要をなくすこと」が施術の目標。月間指名100件超えを、業界に入って1年11か月目で達成。トリガーポイントのケアが得意。肩こり・腰痛が専門。CBSTライセンス保有。

 

 

さて、ここまでの分析(?)から必然的に導かれるのは、「プロフィールというのは、いったい誰のため・何のための欄なのか?」という疑問である。

 

あくまでも仕事でしか使わないプロフィールなら、答えはもちろん「お客様のため」である。マッサージ領域のプロフィールは最もそれに近く、逆に言えば「仕事の場」を離れたら、僕はマッサージなんてメンドクサイのでやりたくない。ゆえにプロフィール欄も、いちおうは「お客様が知りたいであろう情報」で満たされている。

 

しかし囲碁領域のプロフィール欄では、「お客様が知りたいであろう情報」に加えて、「自己の活動領域を定める情報」が入ってきている。「ほじょりん碁」というのは僕が命名した指導碁スタイルで、これまでに多種多様なスタイルでの指導碁を実施してきた結果、「指導碁をするなら、このスタイルがいちばん下手の棋力が伸びやすい」と結論した方法である。

 

逆に言えば、僕は「ほじょりん碁以外の指導はしません」ということを、陰に陽にプロフィール欄で表しているのだ。それが「自己の活動領域を定める」という意味で、囲碁に関する無数の仕事領域のうち、僕は「ほじょりん碁以外」に手を出す気がまるでない。そしてそれは、「融通が利かない」とお客様から認知される可能性が高いことでもある。

 

つまり、マッサージにおいては徹頭徹尾「お客様のため」だったプロフィール欄が、囲碁においては諸事情によって、「お客様のためと自分のためが半々ずつ」になっているのだ。そして言葉領域においては、もはや「自分のため」である。

 

そのことは自分でもよくわかっているのだけれど、本気で「言葉の仕事」に取り組み始めてから1年ほどの現段階ですら、いまだに「自分のお客様が誰なのか」がよくわかっていないし、うまくつかみきれていない。ただしそれこそが、ピーター・ドラッカーが「顧客の創造」と定義した事業の醍醐味である――とも、僕は感じている。

 

マッサージ領域においては、顧客はすでに創造されていて、僕は目の前に現れるお客様に、ただ真摯に対応していればよかった。囲碁領域においては、顧客の目星はある程度ついていたので、「目の前に現れてほしいのはどんなお客様なのか」を決めることができた。

 

しかし言葉領域においては、よくもわるくも該当する範囲が広すぎて、「どんなお客様に目の前に現れてほしいのか」すら、1年かけてもなお明確ではない。逆に言えば、そのぶんだけ「創造」の自由度が高い――というのはあまりに自己弁護的かもしれないが、いずれその点が明確になってくれば、プロフィール欄にもきっと、「然るべき名詞」が増えてくるはずだ。

 

 

まとめ。「自己肯定感の高低に応じて、プロフィール欄の名詞数が変わる」という現象は、恐らく「評価軸の移転」を示している。

 

自己肯定感が高いということは、その領域に関する「確たる評価軸」が、すでに自分の中にあることを意味する。ゆえにプロフィール欄を飾る必要性がなくなり、お客様には不親切になる可能性もあがる。

 

反対に、自己肯定感が低くなれば、評価軸は「他者の中」に移転する。よって自信はなくなるが、プロフィール欄はお客様に評価されやすい情報(親切な情報)で埋め尽くされていく…。

 

どちらかが健全で、どちらか不健全、と断定するのは難しいと思う。その判断は、視座を「人生」に据えるか「仕事」に据えるかでも変わってくるからだ。いずれにせよ、「自己肯定感とプロフィール欄のきらびやかな名詞数は反比例する」というのが、暫定的な結論である。

 

そのことを踏まえておくと、「顧客側の目線」に立ったときにも、事業者の立ち居振る舞いを予想しやすくなるはずだ。

 

 

(自己肯定感とプロフィール欄)

 

 

 

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